仏の世界の善はレベルが高い

おはようございます。

心の中では悪を思ってしまう私です。
今日の午前は畑の草刈りをしよう。


心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。


「#55 三願転入(5)生きるための善ではない|持戒とは」の動画をみました。

持戒とは言行一致で、言ったことを行うということ。
当然、その行いは善いことであり、仏様の世界ではやってあたりまえ
  行いだけでなく心も同じように善いことを思う
  見聞知
    誰も見ていないと思っているが、しっかり見ているぞ
    誰も聞いていないと思っているが、しっかり聞いているぞ
    心の中まではわからないだろうと思っているが、しっかり観ているぞ

因果の道理のお話を思い出しました。
  身体で行う業、口で言う業、心に思う業
  心に思う業が最も重い業で身体、口の業の倍ほど重い
  
仏様の善のレベルは高いですね。上っ面の善ではダメということですね。

善をすれば善因善果であるが、善を積み上げた結果で絶対の幸福という人生のゴールに到達するのではない。しかし善をしないとゴールには進めない。自分を知るための善。
と私は今、理解しています。間違っていたらゴメンね。

「仏法は聴聞に極まる」で、これがベースとなると思います。

 

 


その辺を以下の私が教えを受けているサイトではわかりやすく教えています。
良ければ以下の私が学んでいるサイトを見てくださいね。
松井二郎さん、ありがよう!!

https://wrlighte.com/index.html

ではまたね~!