おはようございます。
怖い気持ちを解消するには固まらずに行動することが大事ですね。人生最大の怖いこと「後生の一大事」を行動で解決しなければと思います。
心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。
「#22 「なんのために生きるのか」シャカの最終結論~苦しみがそのまま幸せに転じる絶対の幸福」の動画をみました。
「無明の闇」= 何をしても幸せになれない病
その「無明の闇」を晴らすのが「阿弥陀仏の本願」
この「絶対の幸福」 = 「無明の闇」が晴れる方法を教えるため、伝えるためににこのシャカはこの世にあわられた。
では実際に「無明の闇」が破れた人っているの?それを書き残しているものはあるの?
何人もいるんです。その一人が親鸞聖人であり、無明の闇が晴れて絶対の幸福になった状態を書き残しています。
「難思の弘誓は 難度の海を度する大船
無碍の光明は 無明の闇を破る慧日なり」
「難思の弘誓」 = 「阿弥陀仏の本願」
難思 = どれだけ考えてもわからない、なって見なければわからない
もの。想像つかないもの。
弘誓 = すべての人に対する誓い
「難度の海」 = 苦しみの海 = 人間の人生を例えている
島影一つ見えない、見えるものは空と海だけ。そんなところに放り
こまれているのが私たちの人生。どこに向かって泳いで行けば良い
のかもわからない。
よく見ると発泡スチロールが浮かんでいる。これにすがれば少しは
楽になりそう。他の人に取られないように急いで泳いで取りに行く。
やっと楽になったと思いきや、大波が来て流されてしまう。
あそこに発泡スチロールより丈夫な板切れが浮かんでいる。それを
とるために一生懸命頑張って泳ぐ。しかしこれも大波にさらわれる。
お金、家、家族・・・が浮かんでいる発泡スチロール、板切れ
これらを得て安心できたものはあったか?
何のために泳いでいるのやらわからない苦しみ
世の中、この海の泳ぎ方は教えてくれるものはある。セミナーとか
しかし手段であって目的ではない。
阿弥陀仏の本願はこの苦しみの人生を絶対の幸福にする大船のようなも
のだった。
「無碍の光明」 = 絶対の幸福になるのを妨げるものが無い、仏の力
だった。
「無明の闇」 = 「愚痴の闇」ともいう。
愚痴 = 愚かで馬鹿な私。因果の道理がわからない苦しみ。
苦しみは自分が作り出した結果であると理解できない
「慧日」 = 智慧の太陽。智慧は愚痴の反対語。
「大悲の願船に乗じて 光明の広海に浮かびぬれば
至徳の風静かに 衆渦の波転ず」
「大悲」 = 大きな慈悲。仏の慈悲で大慈悲の略。
難度の海が光明の海に転じ変わった。
「波」 = 「苦しみ」はそのままやってくる。無くならない。
しかしその苦しい波が楽しい波にかわったのだ。
大きい波が来るほど楽しみも大きくなるのだ。
しかもその大船に一度乗ると二度と捨てられることなない。
= 「摂取不捨の真言」 だった。
動画ではもっと詳しく説明されていますよ。
その辺を以下の私が教えを受けているサイトではわかりやすく教えています。
良ければ以下の私が学んでいるサイトを見てくださいね。
松井二郎さん、ありがとう!!
https://wrlighte.com/index.html
ではまたね~!