おはようございます。
毎日、今日はどんな真でない気持ち、行動をしたのかを振り返りますが、思い出せない日が多いです。寝ているときに「あれは欲から出た思い、行動だった」と思い出しました。真剣に法鏡で自分を映していないからですね。
悪を悪と感じる感度を日々、良くしていかねばと思います。
心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。
「#47[プレ講義] 水よく石を穿つ ~ こんな私でも弥陀の誓願を聞き抜ける」の動画をみました。
阿弥陀仏の本願を受け取れないことを箱と蓋の例えで教えていただきました。
「蓋」・・・阿弥陀仏の本願。
「箱」・・・私の心。自分自身をどう観ているかの心。
阿弥陀仏は常にすべての人々を救うために、この「蓋」(善の塊)で「箱」(煩悩具足の私)を包み込もうとされています。
しかし、
「箱」は自分自身を正見していないので、極悪人の私を救おうとしている阿弥陀仏の本願である「蓋」とかみ合わない。
「箱」は自分は少しくらい善をしている。極悪人ではないと思っている
「蓋」は極悪人を救おうとしている
「箱」と「蓋」の思いが合わないので、「蓋」ができない。
つまり、阿弥陀仏は私たちを何とか救おうとしている
私はそれを拒否している。正見せずに逃げ回っている
ということではないかと考えました。
因縁果の道理の言うところでは、
「因」 = 「蓋」で 原因
「縁」 = 「箱」
「果」 = 絶対の幸福、至心信楽(極楽往生) で その結果
至心信楽へと「光に向かって進む」とは、この「箱」を阿弥陀仏の本願
と同じ思いになり、「蓋」がかみ合うようにする修行なのだろうと思い
ました。
こんな私でも「水よく石を穿つ 」で、少しずつでも光に向かって進めば、それが水が石を穿つように、私の邪見を砕いていく、~ こんな私でも弥陀の誓願を聞き抜ける~と励ましたいただきました。
お釈迦様の真実の教えを以下の私が教えを受けているサイトではわかりやすく教えています。
良ければ以下の私が学んでいるサイトを見てくださいね。
松井二郎さん、ありがとう!!
https://wrlighte.com/index.html
ではまたね~!