おはようございます。
昨日は仕事仲間と愛宕山方面へのハイキングの後みんなでお店に入り、地鶏の炊きをいただきました。料理も良かったし、何よりも仲間で食べるのは格別です。
心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。
「因果の道理」は仏法の根幹、本といわれます。
まいたタネは必ず生える
まかぬタネは絶対に生えぬ
結果(運命)には必ず原因がある
原因のない結果(運命)は万にひとつも、億にひとつも絶対にありえない
偶然はない、すべて必然と教えています。
と教えています。
それに対して世間でいう運命とは、人間にはどうしようもないこと、原因などないと思い、運命がおこるのは偶然だと思っています。
あるいは、神が与えたもの、先祖、きつね、タヌキの祟りしか考えられないとお祓いをしてもらったりします。
そう言いながらその一方、科学とか医学は
「結果には必ず原因がある」という前提で発展してきました。
「原因がわからないということがあっても、原因がないということはあり得ない」
という立場です。これは仏教と同じ考え方です。
では仏法は運命をどう教えているのか?
善因善果 善い運命は自分が行った善い行為が原因で起きる
悪因悪果 悪い運命は自分が行った悪い行為が原因で起きる
自因自果 = 自業自得
善い運命も悪い運命も自分のやった行い(業)によって、自分の運命を得る。
世間では善い運命のときだけ、それは自分の行いが善かったからだと思い、
悪い運命がおきると、それは自分の責任とは思えない。
あの人がこんなことをしたから、私が不幸な目にあったのだ。あの人のせいだ
と他因自果(仏教ではこのような言葉はありませんが・・・)と思ってしまう。
実は因果の道理とは、正確には因縁果の道理であり、因と縁をまとめて因果の道理といわれているのです。(例としてお米という果ができる因、縁)
因ーーーーー縁 因:タネ、原因、自分の行為(モミだね)
| 縁:因が果となるのを助けるもの(土、空気、太陽)
| 果:結果、運命、自分に起こった出来事(米)
果
因と縁がそろわなければ、果とならない
果を生むのに因と縁のどちらが大切か?
その重みに違いはない。同じ重み。両方共に大事。平等に大事。
と教えていただきました。
お教え、ありがとうございます。
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松井二郎さん、いつもありがとうございます。
※今日の教えは松井さんからお話ではありません。教えそのものは同じですけどね
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ではまたね~!