信心決定後の世界

おはようございます。

今日は昨日の猛暑から打って変わって爽やかな風が吹き、涼しいです。天気予報によれば当分、雨が降ったりするようです。

心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。

「#40 仏教の極み 本願成就文(8)無碍の一道とは」の動画をみました。

(信心決定した)念仏者は無碍の一道なり
  碍 = さわり = 障害物、困難、苦しみ(煩悩が原因)
  無碍 = 苦しみが苦しみのままで苦しみでなくなる
       信心決定しても、苦しみそのものはなくならない、変わらない
               煩悩は減りもしないし、無くなりもしない
               極悪人であることに変わりない
               無明の闇が晴れたという事は変わっている
               苦しみが問題にならなくなる
               
親鸞上人のお言葉
  罪障功徳の体となる・・・罪障(煩悩)が功徳の体(幸せの元)になったよ
  こおりとみずのごとくにて
  こおりおおきに みずおおし
  さわりおおきに 得おおし・・・罪障がおおきい程、功徳もおおきい

煩悩即菩提・・・煩悩の水が溶けて、菩提の水となる

無明の闇が晴れると
  自分が極悪人であることがはっきりする。地獄一定、地獄行き間違いなしがはっきり
  する
  それと同時に阿弥陀仏の名号を受け取って、往生一定も同時にはっきりする
     今、生きている間は絶対の幸福に生かされていく
     死んだら極楽浄土で仏に生まれ変わる

私の解釈として、
  煩悩がおおきければおおきい程、地獄一定から救われるこの身の喜びが大きくなる
と考えていた。

松井さんの例え話では、
  小学生のA君が遠い学校への通学が苦痛。特に雨の日は苦痛である。
  学校の帰りに雨が降り出した。傘を持ってきていない。好意を抱いているB子ちゃん
  が傘に入れてくれて相合傘で帰ることになった。
     これまで苦痛であった通学路 ⇒ 幸福の通学路に変わった
こういうこととのこと。

私の解釈とは違うなぁ。苦悩が本当に幸福にかわっているね。そんな世界なんだろうか?

 


その辺を以下の私が教えを受けているサイトではわかりやすく教えています。
良ければ以下の私が学んでいるサイトを見てくださいね。
松井二郎さん、ありがよう!!

https://wrlighte.com/index.html

ではまたね~!