後生の一大事の解決

おはようございます。

仏教のお話を聞かせていただき、復習でブログを書いています。何か参考になれば幸いです。

 

浄土真宗では毎日の朝夕と勤行(おつとめ)に正信偈を拝読します。その正信偈の冒頭の二行が、

  帰命無量寿如来 (親鸞阿弥陀仏に救われた)

  南無不可思議光 (親鸞阿弥陀仏に助けられた)

とあります。

 

救われた、助けられたとは「後生の一大事」を阿弥陀仏の本願に救われたということです。「後生の一大事」の解決とは、死後、地獄に堕ちる一大事を解決したということです。世間でも一大事という言葉は色々なことに使われますが、仏教では取り返しのつかない一番大きな問題を指します。

 

親鸞聖人は生きている現在、死後に起こることが解決したと仰っています。

人間、1年後のことすらどうなるのか分からないのに、死んでからのことが何故、ハッキリするのでしょうか?そんなことがあるのでしょうか?

 

親鸞聖人は阿弥陀仏の本願に救われ、死後、地獄へ落ちる身でありながら、極楽往生することがハッキリ知らされたと断言されています。

阿弥陀仏の本願のことを親鸞聖人は、

      超世の悲願

と表現されています。世を超えている、常識を超えている、人が想像もできない阿弥陀仏大慈悲のお力です。

 

どうしてこんな幸せに救われたのか?大宇宙に「阿弥陀仏の本願」という私たちを救う特効薬があっても、それを教えて下さる人がいなければ、親鸞、救われることはなかったと、仰っています。どなたが教えてくださったのでしょうか?

 

それはお釈迦さまです。釈迦一代の教えは阿弥陀仏の本願一つを説かれました。お釈迦さまは約2600年前の方でこの地球で唯一仏の悟りをひらかれた方です。「同じ仏と言えども私にはそなた達を救う力は無い。そなた達を救えるのは阿弥陀仏という仏の本願だけである。」と教えて下されました。

 

そしてこの2600年前のお釈迦さまの教えを今日までお伝えくだされた高僧の方々はおられなかったならば、この親鸞阿弥陀仏の本願に救われることはなかったと恩を讃えられておられます。

 

私はこの時代に、この日本に生まれ、日本語でお釈迦さまの教えを正確にお伝えくださる親鸞聖人の教えに出会うことが出来、そのお話を聞かせていただけて有難く思います。