「#49 仏教の極み 本願成就文〈14〉ただ1つの真実が本願成就文となぜいえるのか」の動画を再度みました

おはようございます。


空腹の苦しみ、輪廻転生で餓鬼界に入れば始終この苦しみを味わいなければならないのですね。地獄界はそれよりも苦しく、ホッと息の付く間もないとのこと。ゴメンこうむりたいです。


心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。


「#49 仏教の極み 本願成就文〈14〉ただ1つの真実が本願成就文となぜいえるのか」の動画を再度みました。
(現時点、#104まで視聴済み)


お釈迦様の御遺言
  「人に依らず法に依れ」
  人の教えに従うのではなく、仏法の教えに従いなさい。
  その人の教えが仏法の教えからはみ出ていれば、信じる根拠がない。


仏法の中で至極の教えは、
  「本願成就文」の教え
  この本願成就文に則って生きて行く


そのことを述べたお言葉

お釈迦様
  「特に此の経を留めて止住すること百歳せん」
  
  法滅の時代になっても、『大経』に説かれた念仏の教えだけは、この世
  にいつまでもとどまりのこる。「百歳」は満数の意、いつまでもという
  こと。

親鸞聖人
  「それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」


この大無量寿経の中に阿弥陀仏四十八願が書かれている。
四十八願のなかで私と関係する十法衆生と誓われているのが、 

  19願、20願、18願の3つだけ
  
      経典名  誰の話  その他
  19願 観無量寿経 釈迦仏  修諸功徳 要門 仮(方便)
  20願 阿弥陀経  諸仏   植植徳本 真門 仮(方便)
  18願 大無量寿経 阿弥陀仏 至心信楽 弘願 真(真実)
  
  大無量寿経は上下巻あり、
    上巻は阿弥陀仏の言葉の四十八願
    下巻はお釈迦様の重要な願のみの解説(本願成就文はここにある)

方便とは真実(18願)に到達するために絶対に必要なものをいう。
信心決定するための絶対必要条件。自力の心を粉砕するために必要。
自力の心があると18願で救えない。

  19願は、善をせよ、然らば助けるという願
     ⇒ 真の善が出来ない自分が見えてくる
  20願は、念仏を唱えよ、然らば助けるという願
     ⇒ まともに念仏を唱えられない自分が見えてくる
     
19願、20願の方便で自力では助からないことが見えてくる
      ↓
18願の他力で救われるしかない

この18願が上記のお釈迦様、親鸞聖人がもっとの大事といわれています。
この阿弥陀仏の18願の言葉をお釈迦様が人間にわかるように解説してくださったのが「本願成就文」

だから本願成就文に則って生きて行くことが大切ということです。

親鸞聖人のお言葉
  「横超」とは、すなわち願成就
   一実円満の真教・真宗これなり。
  (教行信証
  
  “弥陀の本願を明らかにせられた釈迦の「本願成就文」の教えは、
  「いつでもどこでも時空を超えて変わらぬ、完全無欠の教え」である”


覚如上人のお言葉
  それについて三経の安心あり。
  その中に『大経』をもって真実とせらる。
  『大経』の中には第十八の願をもって本とす。
  十八の願にとりてはまた願成就をもって至極とす
  (改邪鈔)

  “親鸞聖人は、「釈尊が弥陀の救いを説かれた『大無量寿経
  『阿弥陀経』『観無量寿経』の三経の中で、『大無量寿経』一つが
  真実の経である。『大無量寿経』の中では、阿弥陀仏の十八願が
  根本である。その十八願の弥陀の仏意を鮮明に説かれている、
  釈尊の『本願成就文』が最も大切な至極の教えである」と
  教授なされた”


もう一つ、覚如上人のお言葉
  
  かの心行を獲得せんこと、
  念仏往生の願成就の「信心歓喜乃至一念」等の文をもって依憑とす、
  このほか未だ聞かず(改邪鈔)
  
  “それが弥陀の誓いの真実か、どうかの判定は、釈尊の「本願成就文」
  をもって基準とすると聖人は教えられた。だから「本願成就文」の教え
  のほか、私は親鸞聖人から聞いたことがない”

講義、ありがとうございました。

 

 

 

 

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