「#84 親鸞聖人物語〈5〉破満編 [第1シーズンFINAL特番]」の動画をみました

おはようございます。


最近、毎日が充実していないなぁと感じます。あれもこれもしなければと思いながら毎日毎日、なかなか進まないからかもしれません。


心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。


「#84 親鸞聖人物語〈5〉破満編 [第1シーズンFINAL特番]」の動画をみました。


山での修行に行き詰った親鸞聖人、出家の際にお世話になった慈鎮和尚に相談に行く。しかし修行を続けなさいとの言葉に落胆し、山に戻る途中に美しい女性に話しかけられる。

そこで山での仏教は修行で自分だけ救われようとする我利我利亡者の小乗仏教ではないかと、自分は道を誤っているのではと考える。

しかし山での修行しか世界を知らない親鸞聖人は修行を続けるが、女性のことが頭に浮かんで修行をするたびにその女性のことがますます浮かんできてしまう。恋煩い。

修行中、街で夜遊びしたなまくら坊主と出会い、「あなたも女性が好きなんでしょ。今度一緒にどうですか?」と声を掛けられ呆然とする。

彼こそが善人ではないか?
彼は心に思ったことをその通りにやっている。それを隠したりはしない。

この親鸞こそ極悪人ではないか?
この俺は心では女性(煩悩)のことを思っているが、あたかも心にも思っていないように装って善人のようなふりをしている。
であるにもかかわらず、俺は彼を見下した。修行に励んでいる俺の方が優れていると見下した。何度言うことだ。

仏教の教え(真理)は、心で思う罪の方が体で行う罪のよりも倍の重さがある。自分は体で煩悩を抑えて罪を体で行わないが、心では常に煩悩と共にある。
しかし彼は煩悩を実際に行って罪を作っているが、心の中はその行動で欲望を発散させているので、心に煩悩を煩うことが少ない。

この親鸞の方が極悪人ではないか!!!

そして親鸞聖人は山を下山され、法然上人で会うことになる。
そこで法然上人から、
  苦しみの原因は煩悩ではない。
  今死んだらどうなるかわからない無明の闇一つなのだ。
  この解決には阿弥陀仏の本願しかない。
  お釈迦様の大無量寿経にはハッキリとそう説かれているのです。
と聞かされ、法然上人の教えを毎日聞くことになる。

そして信心決定に至る。
「何にもできないこの親鸞、修行はおろか仏法も聞けない者、地獄行き間違いなしの親鸞阿弥陀仏に救われた。阿弥陀仏の本願、偏にこの親鸞一人のために授けていただいた。」
となる。

「偏にこの親鸞一人のために」とあるのは、阿弥陀仏親鸞聖人を救ってやるとお約束していただいたという意味だと思います。

  帰命無量寿如来
  南無不可思議光
これが正信偈の最初の2行の阿弥陀仏に救われたという爆発的な喜びの表現の意味だということです。

 

 

 

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ではまたね~!