「20221127_本願の唯除とは」
こんにちわ。
畑に植えた大麦を麦踏みしてきました。ぺしゃんこに踏んでも、麦の茎は4,5日すれば立ち上がってくるそうです。麦踏みすることでより多くの実が穫れるそうです。
心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。
世間で言われる善人、悪人の判別と仏教のそれとは異なる。
仏教は心の中でどう思っているかを重視する。
人間の目線では他人の心の中は観れないので心を基準に判別できない。
これは仏の目線でしか判別できない。
では人は心の中で何を思っているか
心の中では口や体でやっていることと反対のことを思っている場合がある。
善いことをすることで見返りを求める心がある
何かその人から得られるものがあるかもしれない
感謝されたい
褒められたい
善人と思われたい
因果の法則を信じており、善い運命がほしい
・・・
などの見返りを思っている。
だから仏の眼から私を人間を見ると、全員が悪い種しか蒔けない者である。
悪因悪果 自因自果
悪いことしかできない、していないのであるから、後生は地獄往き間違いなし。
阿弥陀仏の本願
設我得仏 十法衆生
至心信楽 欲生我国
乃至十念
若不生者 不取正覚
唯除五逆 誹謗正法
「唯除五逆 誹謗正法」の部分をどう解釈するか?
この五逆罪、謗法罪をもつものは除くと受取れる。
すべての衆生を救うと誓われているのに、この「唯除」とはどういう意味か?
私は縁さえあれば五逆罪、謗法罪を平気で簡単にやってしまう。
唯除 ⇒ そんな五逆罪、謗法罪を持っているものは絶対に救われない者であると
ハッキリと知らせている。
無間地獄往き間違いなしの者なのだよと知らせている。
それに対し
若不 ⇒ そんな極悪人を救う本願なのだよ。そういう私を極楽往き間違いなしの身に
してみせると誓われている。
だから救われると唯除(機の深信)と若不(法の深信)という全く相反することが
同時にハッキリする。
だから親鸞聖人は不可称・不可説・不可思議の信楽(信心)と讃仰されています。
これを二種深信といいます。
親鸞聖人は29歳で信心決定してからずっとこの深信をもっておられました。
お教え、ありがとうございます。
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松井二郎さん、いつもありがとうございます。
※今日の教えは松井さんからお話ではありません。教えそのものは同じですけどね
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ではまたね~!