「#36 仏教の極み 本願成就文〈4〉聞くとは何を聞くのか」の動画を復習しました

おはようございます。

今日は朝から仕事でブログ投稿が遅れました。

 

心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。

 

「#36 仏教の極み 本願成就文〈4〉聞くとは何を聞くのか」の動画を再度みました。

聞其名号
 「聞」とは阿弥陀仏の直の声を聞くとこ
  聞くと言っても人間の言葉ではない。言葉では表現できない。
  
親鸞聖人の言葉
  「聞と言うは衆生
   仏願の生起本末を聞きて
   疑心有ること無し
   これを聞というなり」

仏願(阿弥陀仏の本願)の生起とは?
  阿弥陀仏はどのような者のために本願を立ててくださったのかを知る
  こと。
  
  
  阿弥陀仏人間について徹底的に調べた。その結果を親鸞聖人は以下
  のように述べられています。
    「一切の群生海
     無始より己来 乃至 今日に至るまで
     穢悪汚染にして 清浄の心無く
     虚化てん偽にて 真実の心無し」
  人間は始まりのない過去から今日この時に至るまで
  悪しかもっていなかった(煩悩しかない。煩悩100%)
  天に嘘偽りだらけ。誠が全くない
  
  少しの善でもあればそれを縁(手がかり)にして救うこともできるが、
  それすらないので、すべての仏は泣く泣く私たちを見捨てるしか
  なかった。
  
  阿弥陀仏は考えた
  このままでは人間は苦しみのまま生きていかねばならない。
  どうにかしてやらねばならない。
  どうすればこのどうにもならない者たちを救えるのか?
  
  阿弥陀仏は誓いを立てた
  絶対にこの者たちを救ってやると・・・
  
  
仏願(阿弥陀仏の本願)の本末とは?
  阿弥陀仏がどのように救うのかを考え、どのようにしたかを知ること
  
  
  何か修行をさせるなどの条件を出して救うのは無理だ。
  善をしなさいと言っても、悪しかできないから。
  
  この阿弥陀仏が人間の代わりに善を行って、その善を人間に与えるしか
  ない。
  
  ではどのようなご苦労をなさってくださったのか?
  阿弥陀仏は兆載永劫(果てしなく長い期間)、体も言葉も思いも
  一念一刹那、一瞬も邪まなことを起こさず善を行われた。
  
  その善の結晶を名号(南無阿弥陀仏)という、人間が受け取れる形に
  した。
  
  
疑心有ること無し
  そのような過程でお創りになられた名号を聞いき、その真の心を頂いて
  一念で救われた。
  
  その身になれたことを一生金輪際、疑いようがない。
  後から、やっぱり本当なのかなぁ??と思うことがない。
  まったく疑いが無くなった。絶対の幸福になれたと
  
これが一瞬でわかる。一瞬で世界が変わる。これが聞と理解しました。

聞即信  聞すれば阿弥陀仏の本願を疑う気持ちが起こらない信心となる。
ということなんでしょうね。
  
     

 

 


その辺を以下の私が教えを受けているサイトではわかりやすく教えています。
良ければ以下の私が学んでいるサイトを見てくださいね。
松井二郎さん、ありがとう!!

https://wrlighte.com/index.html

ではまたね~!