「#36 仏教の極み 本願成就文〈4〉聞くとは何を聞くのか」の動画を再度みました

おはようございます。


3月中旬、寒さがぶり返しています。2月はもっと寒かったのに、このところの陽気で暖かさに体が慣れ、ちょっとした気温の変化で寒さを感じてしまいますね。


心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。


「#36 仏教の極み 本願成就文〈4〉聞くとは何を聞くのか」の動画を再度みました。
(現時点、#101まで視聴済み)


前回に引き続き、本願成就文の「聞其名号」の「聞」の解説です。

親鸞聖人の教行信証での「聞」の解説文

  聞と言うは衆生
  仏願の生起本末を聞きて
  疑心有ること無し
  これを聞と曰うなり

「疑心有ること無し」= 心に疑いが出てくることが今後金輪際無くなる

「生起」
  阿弥陀仏は本願を建てる際に救おうとしている衆生はどのような者であ
  るかを徹底的に調べた。
  
  一切の群生海、無始よりこのかた
  乃至今日今時に至るまで
  穢悪汚染にして清浄の心無し、
  虚仮諂偽にして真実の心無し
  
    始まりのない過去から今日こと時まで
    善のかけらもない、悪しかない者であった
    真実がまったくない、不実の者であった。
    煩悩具足で救うたための縁が見当たらない。
    救う縁があればそれを元に行い(因)を積み、修行を積ませるよう
    に指導すればいつか悟りをひらくことが可能だがそれができない。
    だから他の仏達は救おうとしたが諦めるしかなかったのだ。
    
    そのような救うことが不可能な存在だが、何としても私(阿弥陀
    仏)が救ってやらねばと思われた。これが生起。
    
「本末」
  救う縁がなければ、私(阿弥陀仏)が善を行って、その善を与えるしか
  あるまいと兆載永劫の長い期間かけて不可思議不可称不可説の名号を作
  られた。


だから「聞」して「信心決定」すれば、
   「生起」・・・悪しかない、真の心がない地獄行き間違いなしの私であっ
        たとハッキリした。
   「本末」・・・そんな私を救ってくださる弥陀の本願であったということ
        がハッキリした。
親鸞聖人は仰ったのですね。


人間世界の物語では、私たちのような「悪人」は滅ぼされるのが定番のストーリですが、仏様はそのような「悪人」まで救おうとしてくださるお方なのですね。

講義、ありがとうございました。

 

 

 

 

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ではまたね~!