「20221027_罪悪観と気の深信」
おはようございます。
昨日は会館に行って仏法のお話を聞かせていただきました。先生の正しい教えを伝えなければというお心が身に沁みました。
心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。
仏法は聴聞に極まる
聴とは弥陀の誓いの本・末をきいて、深く納得すること。
その一つに
弥陀の誓いの相手はどんな者かというと、
諸仏に見捨てられた極悪人
煩悩100%、煩悩しかない者
死ねば必ず無間地獄に堕ちる者
迷いの世界を輪廻転生して苦しみから抜け出せない者
しかし私は弥陀の言われるような者であるとは思えない。
弥陀はそのために19願の修諸功徳の方便願を建てられた。
善を全力でやってみて法鏡で自分の心の中を見つめてみなさい、
真実の自分の姿を見なさいと。
これが罪悪観というもの。
阿弥陀仏の本願に救われると煩悩具足の私がハッキリと知らされる。
これを機の深信といいます。
罪悪観が機の深信になるのではない。
聴している間、罪悪観を深めているが自分が煩悩具足と疑う余地がないところまで
いかないと思います。
疑う余地なくハッキリとするのは阿弥陀仏の本願に救われた時に起きるということだと思います。
ありがとうございます。
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松井二郎さん、ありがとう!!
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ではまたね~!