「20221117_信楽とは」
こんばんわ。
善知識を批判している恐ろしい心が時々出てきます。
心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。
毎日のおつとめで読む念仏和讃
若不生者のちかいゆえ
信楽まことにときいたり
一念慶喜するひとは
往生かならずさだまりぬ
真心徹到するひとは
金剛心なりければ
三品の懺悔するひとと
ひとしと宗師はのたまえり
阿弥陀仏の本願の幹事6文字をひらがな混じりでわかりやすく親鸞聖人が説かれたご和讃
若不生者のちかい = 阿弥陀仏の本願
この阿弥陀仏の本願を「信楽」という2文字で表現されている。
阿弥陀仏の本願は「すべての人を信楽にする」というお約束
まことにときいたり = 必ず信楽になれるのだ。阿弥陀仏の命をかけての約束だから
「信楽」とはどういうことですか?
信とは・・・明るい心、死んだらどうなるかハッキリとする心
楽とは・・・人間に生まれてきてよかったと大満足する心
人生の目的、無上の幸福
これになると、「一念慶喜」する。
一念・・・これ以上短い時間は無いという間
慶喜・・・踊り上がって喜ぶ、無上の喜び
この生きている時に「一念慶喜」する 平生業成
「一念慶喜」とはどうなったことですか?
「真心徹到」するのです
真心・・・真実の信心。世間で言われるただ信じる心ではない。
徹到・・・崩れない、変わらない、卒業した
他の宗教の信心には卒業はない、これで達成したということはない
他の宗教には「深い信心」とか「厚い信心」とかがあるが、真実信心にはそれがない
その「真心」は「金剛(信)心」である。
絶対に崩れない信心となる。
金剛=ダイヤモンド。固いということ。
そして「三品(さんぼん)の懺悔(さんげ)」する人となる。善導大師のお言葉
世間でいう懺悔(ざんげ)とはその質が異なる。口だけのその場だけのものでない
懺悔に三通りある
下品の懺悔:目から熱涙 全身から熱汗を流す
中品の懺悔:目から血涙 全身から熱汗を流す
上品の懺悔:目から血涙 全身から血汗を流す
実際に血涙、血汗が流れる訳ではないが、これほど深い懺悔が出てくる。
この懺悔は
「阿弥陀仏の本願」を疑っていた罪に対する懺悔
この罪は最も恐ろしい罪 = 「疑情」ともいう
人間に対する懺悔ではない、阿弥陀仏に対する懺悔である
世間の懺悔はその時は「もうやりません」と思っても、またやるかもしれない懺悔
三品の懺悔がおこると二度と阿弥陀仏の本願を疑うことがなくなる。
「一念慶喜」、「三品の懺悔」がおこるので「信楽」したかどうかは疑う余地がなくなるのだろうと思う。
ありがとうございます。
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松井二郎さん、いつもありがとうございます。
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ではまたね~!