「20221118_幸福は死を見つめることから」

こんばんわ。


今日も善知識を批判している恐ろしい心が出てきました。自惚れ心です。
数時間後には夕食なのに、間食したいという気持ちで心がいっぱいになりました。忍辱が足りません。


心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。


無常を観ずるは菩提心の一(はじめ)なり

  無常・・・後生の一大事
  菩提心・・・本当の幸せの心


蓮如上人の「白骨の章」は後生の一大事を説明されたものです。

「人間の浮生なる相(すがた)をつらつら観ずるに、」

  浮生・・・浮いたものを求めて生きている
  浮いたもの・・・不安定なもの、いつどうなるかわからないもの
        お金、財、地位、名誉、夫妻、子、健康などの相対の幸福
        世間の人は幸福になるためにこれらを求めている


「我や先、人や先」
  自分が先に死ねとは思えない。人が先に死ぬと思っている。
  逆ですよ、自分が先ですよ。
  
  自分は今日も明日も当然生きていると思っている。事故や災害で無くなった方も
  そのように思っていたでしょう。

  何かの本で、戦争で戦っている兵士のことが書いてあった。
    多くの仲間が戦死していくのに、自分が死ぬとは思えなかったそうです。


「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身」

  朝、元気に「行ってきます」と出かけても、夕べには白骨となって帰ってくる
  とも知れない我が身である


人間は儚い命をもちながら、儚いもの(相対の幸福)ばかりを求めている。


しかし世間の人は
  自分が死ねということを考えない、考えたくない。
  死ぬなんてことを考えると幸せになれないと思っている。
  
  「死んだら死んだ時のことさ。そんなこと考えても仕方ない」と元気な時は思う。
  しかしいざ、死が近づくと、心は「死んだらどうなるのだろうか?」という思いで
  いっぱいになる。しかしその時は手遅れ。
  
  
本当はその逆で死をありのままに観ることが本当の幸せの出発点である。
そして仏教だけにそれが説かれている。

ありがとうございます。

 

 

 

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ではまたね~!