「#45 仏教の極み 本願成就文〈11〉乃至一念」の動画をみました

おはようございます。


健康になるために「1日2食の小食生活」を目指していますが、どうしてもお腹が空いて間食をしてしまいます。難しいね。


心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。


「#45 仏教の極み 本願成就文〈11〉乃至一念」の動画をみました。


 「破闇」「満願」
=「信心」「歓喜」  本願成就文の言葉
=「信」 「楽」   阿弥陀仏の本願の言葉

この「満願」の「願」は、
  阿弥陀仏の願いだったのですね。私の願いではないのです。
  私はこれまでの仏教のお話を聞いて「極楽往生」したい~と思いますが、
  本当に真剣に思っているのかというと、
  
    朝夕の毎日の勤行をしていても心の中で湧いてくるのは、
      腹減ったぁ
      あっ、あれをやななければいけないなぁ
      後でこれをやろう
      あれはどうだったかなぁ?
    という雑念がどうしても浮かんでくる。
    
    極楽往生したいがためのお勤めであるのに、それに集中できない
    雑念が湧いてくるのは、「極楽往生」よりも今の出来事の方を優先
    しているため。煩悩を優先しているためと言える。
    
  では、私が「極楽往生」したいという気持ちは嘘なのか?
  
  実は私がそのようになりたいと思うのも、阿弥陀仏が私に起こしてくだ
  さっているから。
  
  「破闇満願」のために私のしていること、自力でしていることは
  何一つない。すべて阿弥陀仏のお力のお陰。他力でしかない。
  
ということだったのですね。


その「破闇満願」という現象は、「乃至一念」で起こる
  ●一瞬で、これ以上短くできない時間で起こる 
  ●その一瞬で闇が破れる。今まで経験したことのない大きな喜びが起き
   る。世界が一瞬で変化する。
ので、間違えることがない。

大きな喜びの訳は
  「地獄行き間違いなし」の私が、「極楽往生間違いなし」の私になるか
  ら。
  来週に旅行に行く予定があれば、行く前から心がウキウキする。
  同じように生きている今、「極楽往生間違いなし」が確定していれば、
  これから死ぬまでの今生も喜びでいっぱいになる。
という喜びだとわかりました。


さらになぜ「乃至一念」なのかというと
  私はまぁ当分は死なないだろうと高を括っているが、本当は「諸行無
  常」で明日とも知れぬ命である。
  
  毎日、たくさんの方が亡くなっている。その方たちは今日、私は死ぬと
  思っていただろうか?震災で亡くなった方はどうだったか?
  
  そう思うと「明日とも知れぬ命」ということが理解できます。
  
  そんな私だから阿弥陀仏は「一念」で救ってくださると約束してくだ
  さったのですね。
  
  

阿弥陀仏の深い慈悲が身に沁みました。

  

 

 

 

 

お釈迦様の真実の教えを以下の私が教えを受けているサイトではわかりやすく教えています。
良ければ以下の私が学んでいるサイトを見てくださいね。
松井二郎さん、ありがとう!!

https://wrlighte.com/index.html

ではまたね~!