「#44 仏教の極み 本願成就文〈10〉信心歓喜」の動画を復習しました

おはようございます。


午前中の空腹を何とか無くせないかと昨夜は食べ過ぎてしまいました。1日2食の小食生活は難しいね。


心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。


「#44 仏教の極み 本願成就文〈10〉信心歓喜」の動画をみました。


阿弥陀仏の本願は、人間を「地獄行き間違いなし」から
         「極楽往生」の身に助けてあげるよというお約束です。
         
因果の道理では、原因があってその種が元で結果が生まれるとあります。
絶対の法則で仏様といえど、これを覆すことはできません。

極楽往生」という結果は何が種(原因)で生まれるのか?

阿弥陀仏の本願には
  至心信楽・・・信楽(=信心)を与えるよ
  乃至十念・・・十回の念仏(数を問わない)念仏を与えるよ
とあり、信心と念仏のどちらかがその種であると解釈できるとあります。

破闇満願するには 「信心」によりそうなるのか?
         「念仏」を唱えることによりそうなるのか?

「信心」ひとつで助かると教えていただきました。
「念仏」は「信心」で助かったことに対するお礼の言葉です。
  
では「信心」とは何か?
  現在の解釈では、「心で信じること。本当かどうかはわからないけど、
  その教えを本当だと信じること」を言います
  
  「信じる」とは本当かどうかはわからないという思いが混じっています

仏教における「信心」とは、
  本当にその身になった心を言います。実際に破闇満願の身になったこと

なるほど、そういう意味だったのですね。

  「自力本願」では救われない。自分のした(念仏を唱えた)行為で救わ
  れるのではない
  得てして人間は自分の力で何とかできると思いがち

  「信心」を得ると、
  「他力本願」で自分の行った行為は救われる種には全くならなかった。
  すべて阿弥陀仏のお力で救われたとハッキリするそうです。
  
では自分は何もしなくても良いのか??
  そうではないと思います。
  
  「因果の道理」は「因縁果の道理」であり、「因」と「縁」が結び
  ついて「果」が生まれるようです。
  
  「信心」という光に向かって進む行為が「縁」を作るのだと思いました。
  この「縁」の行為の話は今の講義よりも先の方でで説明されています
  

 

 

 

 

お釈迦様の真実の教えを以下の私が教えを受けているサイトではわかりやすく教えています。
良ければ以下の私が学んでいるサイトを見てくださいね。
松井二郎さん、ありがとう!!

https://wrlighte.com/index.html

ではまたね~!