「#72 時節到来という事」の動画をみました

おはようございます。

昨日の元日は心ゆったりと過ごしました。このように過ごすのは久しぶりのように感じます。

心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。


「#72 時節到来という事」の動画をみました。


宿善の厚い人が早く信心決定する。
宿善の厚い人はより宿善を厚くしようとするように努める。
  宿善を厚くないとなかなか宿善を厚くしようとは思わない。
  
ではどうすれば良い?

花を植えれば、花が咲くのをただ待っていればよいだけなのか?
花を咲かせたければ、
  水やりをしたり、虫がついていないか確認したりと用心して
  その上で毎日、花のこと気遣うことをしたうえで花が咲く
     ⇒ これを時期到来したという
     
  それほど気にかけずにたまたま花を見かけた時に花が咲いていた
     ⇒ これは時期到来したとは言えない
     
やるべきことをするという用心をもした上であれば、時期到来ともいえよう。
仏法の熱心な聴聞したうえで宿善の有無を論ずべし。


今、何かの拍子に一息尽きれば、その瞬間、後生の一大事が始まる。
後生というとまだまだ先のことと思ってしまうが、今日がその日かもしれない。毎日、事故、事件の死亡が報道される。これらの亡くなった方は、今日が自分の命日だとは思いもしなかっただろう。いつ何が起こっても不思議ではない。

その時、信心決定しているのであればよいが、そうでなければどうなるのか?

  肉を食している自分 ⇒ 牛豚鶏たちを殺生している自分
  などなど・・・
  
  全力で善いことやろう(悪を止めよう)と実行してみないと、自分の
  煩悩(自分の真実の姿)が見えてこない。
  実行しないで、自分はやる気になればいつでもできると高を括っている
  限り、自分の本当の姿は見えない。
  
  仏法を真剣に聴聞しないと正しい法鏡で自分を映せない
  
  自分の本当の姿が見えない、わからない。
  
  自分の後生は、ひょっとしたらいい所に往けるのでは??と思って
  しまう。
  
実際はお釈迦様の教えにより無間地獄間違いなしとなるよ。


「自力で進む」 というのは、本当の自分の姿を観るための行動

なのだろうと私は感じました。
  そうしないと阿弥陀仏の本願の蓋と
  その箱である私の自分の姿に対する認識
  が一致せず(蓋と箱が合わず)、信心決定できないのだろう
と思いました。

       
 

 

 

 

 

 

 

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ではまたね~!