「#39 仏教の極み 本願成就文〈7〉信心決定とは」の動画を再度みました

おはようございます。


何か対処しなければならない時、感情で行動すると誤る。まずは頭、理性でどうするべきかを考える。それがわかればそれを実行すると肚に落とす。そしてやってみた後、感情を見る。と、ある人から学びました。重要だと思います。


心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。


「#39 仏教の極み 本願成就文〈7〉信心決定とは」の動画を再度みました。
(現時点、#101まで視聴済み)


信心決定 = 信心獲得

信心を辞典で調べると、
  「神仏を信仰する心。また、加護や救済を信じて、神仏に祈ること。」

仏教が意味する信心は、
  「阿弥陀仏の本願を受取った状態の心のこと」
  
だから仏教では、
  「信心しなさい」、「信心を深めなさい」、「信心が足りない」
とは言わない。
信心は阿弥陀仏からいただくもの。

しかし実際私は、ほんの少しぐらいは自分は「きれいな」真を持っていると思っている。


しかし「お前は煩悩具足で悪しかできない」とお釈迦様は断言される。
「真の心が微塵もないお前には、真を信じることはできない。真を理解することもできない。阿弥陀仏の本願は真だから、お前は信じることはできないのだ。」と仰る。


このお釈迦様の仰る「真の心がない私」を観ていくのが修行。
それを見るためには、自分の姿を正しく映す鏡が必要。それが法鏡。
法鏡を持つために聴聞しなければならない。


そしてそんな「悪しかできない私」を阿弥陀仏はどのようにして救おうとしているのか、そのためにどのようなことをしてくださったのか?を知ることも大切。これを知ることで自分の姿がより理解できる。それも聴聞


自分が本当に「信心決定」したかどうかは、その「信心決定」したときの状態を知らなければならない。そのためにも聴聞が必要。


この修行が阿弥陀仏の本願をいただく「縁」となるのかなぁ???と思いました。どうなんでしょう??

講義、ありがとうございました。

 

 

 

 

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松井二郎さん、ありがとう!!

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ではまたね~!