「名号」は「無明業障の恐ろしき病」を治す薬

おはようございます。


人が楽しているのを羨んだり、批判したりする心。反省です。仏法を聞かせていただいている自分がどれほど恵まれているのかを噛みしめて。


心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。


親鸞会のご説法を聞いてきました。


「名号」とは、南無阿弥陀仏の六文字のこと
「信心」とは、その名号を阿弥陀仏からいただいて「無明の闇」が晴れ状態


「名号」とは例えていえば薬である。
「信心」とは名号という薬を飲んで病が完治したことをいう。


その病名は「無明業障の恐ろしき病」という。
その症状は、代表的に言うと、
  ・死んだらどうなるかわからない
  ・生まれてきた喜びがない
  ・科学が進歩して生活が便利になっても心からよろこべない
  ・何のために生まれてきたかわからない
  
「恐ろしき」とあるのは、これらの症状を気にせずに生きているから。
自覚症状がない、自分が病を患っていると気付かないこと。
何とはなしに「不安」であるが、その不安に向き合わない。


この「不安」の根本原因は、一番目の
  「死んだらどうなるかわからない」という不安な心
であると思います。
 
  死ぬのは100%確実であるが、その行先がわからない不安を潜在的
  持っているから今を幸せに生きられない。
  
  
阿弥陀仏というお医者さまは、この根本原因を発見しこの病を患って苦しんでいる衆生を助けようと「名号」という薬を作ってくださった。

  しかし衆生には自覚症状がないのでそれを治そうとも思わない。
  それに気づいても「名号」という薬を使わなくても、阿弥陀仏という
  お医者さまに頼らなくても自分で直せると思い込んでいる。
  
阿弥陀仏衆生のこのような性質を既に見抜いておられる。
普通のお医者さまだと、そもそもこの難病を治す薬を作る力は無い。
  「そうか。残念だけど私の力ではどうしようもないね。」
と見放すしかなかったが、阿弥陀仏という名医は違った。

  「そんな状態で永遠に苦しみ続けている衆生を見捨てるわけには
  いかない。何とか救わねば」
  
と長い期間、考えに考え「名号」という薬を作ってくださった。


しかし薬ができてもそれを病を患っている衆生はその薬に見向きもしない。
  自覚症状がないし、あっても自分の力で直せると思っているから。
  
そんな衆生であっても名医である阿弥陀仏は治すことを諦めはしない。
そんな衆生に絶えず、
  「君たちはこんな難病を患っているのだ。」
と大越で叫び続けてくださっている。

そしてその症状にやっと気づいた衆生
  「自分で治すのであればこんな行動をしてみればいいよ。」
  と19願と20願の自己治療の方法を授けられた。
  
衆生はその自己治療を実行してみたが、どうしても実行できないとやっとのことで気付く。そしてこの難病を治すには

  「名号」という薬を飲むしかないと名医に頼る。
  
  
このような完治に至るプロセスを名医である阿弥陀仏は考えてくだされた。

完治は名医である阿弥陀仏の一人働きであった。

しかもその治療費は無料である。

これは感謝せずにはいられないという気持ちまで名医の阿弥陀仏はさせてくだされ、その感謝の気持ちである「念仏」まで授けてくださった。


この「念仏」で他のこの病を患っている衆生にも、このような治療法があると伝えるようにして、すべての衆生を完治させるようにしている。


と思いました。

講義、ありがとうございました。

 

 

 

 

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