「雑行」と「雑毒の善」について

おはようございます。


仏法は教え難しとありますが、本当にそうだと思います。その教え難し仏法を私に教えてくださっている松井さんに感謝です。本当に順序立てて理解できるように教えてくださっていると思います。


心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。


昨日、親鸞会のご説法を聞いてきました。


宿善を厚くするには
  「熱心な聞法」、「五正行の実践」、「六度万行の実践」
があります。


六度万行は善いことをしなさいという19願の実践です。
善には「雑行」と「雑毒の善」という言葉があります。
この違いが判らなくて、どのような心掛けで善を行えばよいのかわからなくなり質問させていただきました。


  「雑行」は、阿弥陀仏の救いに役立てようと行う善。
  自力の善でこれを捨てよと教えられています。
  弥陀の本願を疑っている心で行う善です。
       
  「雑毒の善」は私たちは毒が混じっている善しかできない。
  しかし毒が混ざっていても善は善。
  宇宙の真理である「因果の道理」の通り、善因善果である。
  毒が混ざった善なので、その善果は相対の幸福をもたらすもの。
  19願は善を全力で行ってこの毒の有無を法鏡で見ていきなさい
  という教えだと思います。
  この善は自力の善ではない。
  
  「雑行」と「雑毒の善」は体は「諸善万行」であるが、氷と水の関係
  のようで異なるものである


自力の心は自分では捨てられないので、阿弥陀仏のお力で無理やり捨てていただかなくてはなりません。

自力の心は「信心決定」するまで捨てられませんが、自力の行為をしないように気を付けなければいけないと思いました。

講義、ありがとうございました。

 

 

 

 

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松井二郎さん、ありがとう!!

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ではまたね~!