「たとい大千世界にみてらん火をも過ぎゆきて」

おはようございます。


仏法に向かう姿勢が日常の生活に追われると、ついついおろそかになります。


心穏やかに生きたいと思っていたら、
ひょんなことから仏教を学ぶことになりました。


親鸞会のご説法を聞いてきました。


たとい大千世界に
みてらん火をも過ぎゆきて
仏の御名を聞く人は
ながく不退にかなうなり
浄土和讃

   “たとえ大宇宙が
    猛火に包まれようとも、そのなか
    阿弥陀仏の名号(仏法)を聞く人は、
    早く絶対の幸福になれるのである”


「大宇宙が猛火に包まれる」というのがイメージできなければ、「自分の家が燃えている」と置き換えて考えてみる。それほど仏法を聞くことは大事ですよと言われています。


蓮如上人はもっと私にイメージしやすい言葉で説明してくださっています。

「仏法には世間の隙(仕事)を闕きて(止めて)聞くべし、
 世間の隙をあけて法を聞くべきように思うこと、浅ましきことなり。
『仏法には明日ということはあるまじき』由の仰せに候」
(御一代記聞書)

  ここで考えるべきことは、「仕事を止めて聞くべし」と言われている
  仏法とはどのような教えなのかという事です。
  そのことをよく考えなさいよ!と教えられています。
  
  あえて衝撃的なことを仰って、仏法の意味を分からせてくださる
  お言葉です。
  
  
仕事の合間に余裕があれば聞けばよいのが仏教なのですか??
5時間必要な仕事を3時間に集中して終わらせ、残った2時間で仏法を聞くというのは間違いですよ。

自分がやりたいことをしていては、時間などあけれませんよ。

そもそも人間にとって大切なものは「仕事」だと多くの人は考えている。
「仏法を聞かねば」と思う人も「仕事」が一番で「仏法」は二番となっている。「それは間違いですよ」と戒められている。


人生の目的は何なのですか??

    「仕事」が一番なのは、「食べて行くため」ため。
  
  「食べる」目的は何ですか??
    「食べる」のは「生きていくため」
  
  何のために生きていくのですか??
    生きるために生きているのだ。

という。

  生きるために生きる = 死ぬために生きている

である。なぜならば永遠に生きることはできないから。

頭では自分は必ず死ぬとわかっている。
にもかかわらず、平気に気にせずこのような行動をとり生活している。

こんな当たり前のことを理解できないほど、人間の迷いは深い。
それを打ち砕くために蓮如上人はこのように教えてくだされています。


生きるのは手段。目的は「絶対の幸せ」の身になることこれ一つしかありません。


『仏法には明日ということはあるまじき』

   「明日はない」と教えるのが仏法。
   明日も生きておれると固く信じているのが私たち人間

   ”仕事のために(生きるために)生きる”と考えるのは、
   まだまだ生きておれるという事が根底にあるからである。
   
   それを簡単に人は信じている。
   「明日がある」と思う「信心」が強固であるため
   
   この信心は正しいのですか?
   この信心は「私は永久に死なない」という信心と同じですよ。
   
   頭では死ぬことはわかっている。しかし本心は別。
     明日⇒明日⇒・・・・・⇒明日ある?
   簡単にとんでもないことを信じている。
   
   明日ある心 ⇒ 仕事が一番大事
   明日は無いと思う心 ⇒ 仏法を聞くのが一番大事
   

講義、ありがとうございました。

 

 

 

 

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